個人的には、これほどまでに盛り上がらなかった総選挙もめったにない。民主党が勝つのは、それを仕掛けた側の既定路線上の出来事でしかなく、多少国民生活寄りに政策(公約)をシフトさせたとはいえ、本質的には差のない2大保守政党間での政権のキャッチボールにしか見えないからだ。
とはいえ、一方で、変えることが出来る、変えても良いのだという「民主主義の経験値」を上げることも出来たのだから、それはそれで評価したいと思う。小選挙区制で民意が必要以上に増幅されていることは、あえて横に置いて、だが。
多くの人々が、選挙によって起きた変化が、具体的にどう起こるのかをこれから体験することになる。善し悪しは別にして、その経験は貴重なものになると思っている。かつてのウクライナの政変にかこつけて、「民主主義の経験値」なんてことを言いつのっている者としては、この経験がどうこの国で共有されていくのか、その行き先に興味がある。
米国からの便りさん経由で知りました。感謝です。
たしか、過去にもやったことがある毎日.jpのえらぼーと。質問を選ぶだけで、政党との相性度がチェックできるというもの。いいと思ったのは、質問に答えた後で、個別の質問の重要度を任意に変更できるというもの。大事だと思う項目は重要度を上げ、そうでもないものは重要度を下げることで、よりマッチの精度を上げている感じがする。
実際、私がやってみた結果は・・・
以前、ウクライナの大統領選挙を巡る混乱をネタに「民主主義」の有効性を考えるというエントリーを書いたことがある。「民主化のうねりが押し寄せた」とも評されたこの事態の裏に、アメリカなど外国勢の動きがあって、しかしそうだとしても、こういう形で多数を動員するには「民主主義」的な啓蒙活動は必要であり、それは国民個々の「民主主義」の経験値を上げることになるのではないか、という趣旨の内容である。
この件はもう5年前の話だが、最近のイラン大統領選挙での混乱など似たような事態は世界のどこかに常にあるようで、こういう観点から見ると「民主主義」は常に至るところで動き変化しているなと感じる。
そしてこの国でも「民主主義の経験値」を示す機会が4年ぶりにやってきている。8月30日投票予定の衆議院議員総選挙である。
戦後の長きにわたり政権についていた自民党がこれまでにない混乱した状態に陥り、民主党による「政権交代」が相当のレベルで現実味を帯びてきている状況で、この国の国民がどういう選択をするのかが注目されている選挙である。
この状況を、5年前のウクライナの事態と比較したとき、双方の「事態の変化」の構造が、相当に似ていることに気づいた。
今も昔も、国民の要求はいろいろあって多様だったと思うが、政治に反映されてきたのは、多数を握ってきた保守勢力の議員が取り上げた要求が大半であったと思っている。本来なら、主権者たる国民の要求は政治に反映されるべきものであろうが、多数を占める保守系議員の「判断」によって、時期尚早・状況に合わないなどと断じられた要求はいかほどあったろうか。そういう議員の判断によって、長年にわたり国民の要求は「集約」され続けてきたと言える。
しかし近年は、支持政党なし層(無党派層)が大きく増えている中で、議員の判断による要求の集約からこぼれ落ちる「要求」は、飛躍的に増えていると感じている。それを意識してか知らずか、曲がりなりにも国民の意見をどう反映させていくかの議論も多少なりとも目にすることもあるが、根本的な改善につながるとは思えないものが多数ある。
たとえば議員定数の問題だ。