共謀罪について、国会で強行採決されるかどうかという情勢下で、このような見解を出してくる「立場」というのはいったい何なのだろう。
5月23日付東京新聞夕刊「社会時評」の日垣隆氏の寄稿「『何でも反対』の反動性 無修正で対極案スルーする危険」を読み、強く違和感を感じた。地道な取材・調査と緻密な論理の組み立てで鋭く問題をえぐりだすと評される氏の論文であるが、おそらく全部が全部というわけではないにせよ共謀罪に対する「反対意見」を軽く扱い、一方で反論しづらい「被害者」の存在を一般論的に前面にだしつつ、共謀罪の導入に条件つきで容認を迫るというロジックには、単純に受け入れられない「嫌な感じ」を受けるのである。
なぜそう思うか。どうにも見過ごせない論点がいくつかあると考えるからだ。