共謀罪について、国会で強行採決されるかどうかという情勢下で、このような見解を出してくる「立場」というのはいったい何なのだろう。
5月23日付東京新聞夕刊「社会時評」の日垣隆氏の寄稿「『何でも反対』の反動性 無修正で対極案スルーする危険」を読み、強く違和感を感じた。地道な取材・調査と緻密な論理の組み立てで鋭く問題をえぐりだすと評される氏の論文であるが、おそらく全部が全部というわけではないにせよ共謀罪に対する「反対意見」を軽く扱い、一方で反論しづらい「被害者」の存在を一般論的に前面にだしつつ、共謀罪の導入に条件つきで容認を迫るというロジックには、単純に受け入れられない「嫌な感じ」を受けるのである。
なぜそう思うか。どうにも見過ごせない論点がいくつかあると考えるからだ。
共謀罪をめぐる危険な言説?日垣氏「『何でも反対』の反動性」(5月23日東京新聞夕刊)
氏の論文の趣旨は、私の受け止めではだいたい次のようになる。
曰く、氏の同業者たち(文筆やジャーナリズムに関わる人々=日垣氏)や「反対運動を趣味にしている先輩たち」は、共謀罪の新設に反対しているが、それは「とりあえず『嫌な感じのものは反対しておく』以上のものではない」し、小泉の悪口を言っただけで逮捕されるという「ありえぬ例しかあげられず」、「恣意的な運用の恐れ」を真顔で言うという。しかし「恣意的運用の恐れのない条文など存在しない」とし、犯罪被害者やその遺族が捨て置かれたような「恣意的な運用」があるのに、そういう「本物の逸脱」を見過ごしておきながら、またも国際的犯罪集団を放置させようとは信じがたいことだ、と主張する。
そして「正当な共謀罪」がなければ、国際テロや麻薬取引、幼児誘拐や人身売買は歯止めがかけられない、とし、共謀罪の根拠条約とも言うべき国連越境組織犯罪防止条約ができる以前から、欧米では共謀罪が存在し機能してきた。私見では法案に「犯罪組織による越境犯罪」という一文を入れれば、大半の「断固反対」派はそれでよいといっているとする。先の国連の条約に賛成した以上当然だという。
そして改めて「何でも反対」は反動かつ偽善的と断じる。その例として、消費税導入をめぐる賛否の動向と結果を挙げる。曰く、氏は、自ら「超少数意見だった」という、税率1.2%論を主張したが、体制は3%を掲げる政府与党と、地元で「反対とうそつく」自民党議員と導入自体断固反対の野党で意見がわれ、結局3%が通った。「1.2%と3%なら3%が完勝するという事態はありえなかったろう。」という。さらに、かつての防衛費議論でも、社会党が審議に加わらないことで、自民党の言い値が修正されずに通ってきた。無責任な「反対」がいつもこうして対極案をスルーさせてきた、その反動性にそろそろ気づいてもいいのではないか。「ゼロか百かの議論では、1から99は無視され、結局は「ゼロ」派が「百」派を援助してしまうのである」と結ぶ。
これは、要するに「反対するなら対案を出せ」という典型的かつ使い古された批判でしかないだろう。反対意見自体が対案である可能性に考えが至っていない。反対意見がなぜ対案なのか。提案されている意見が現状を改善する内容になっていない、むしろ悪くするのではないかという意思表明であるからだ。「嫌な感じ」というのは、そういうことを感じ取っての感覚的な反対意見である可能性をまったく否定しているような日垣氏の主張は、いたるところで表明されている反対意見を、本当に、ちゃんと吟味しているのだろうか。
そして「恣意的な運用の恐れ」についても、その可能性があるのは当たり前と一般論化し、犯罪被害者や遺族のひどい扱いを「恣意的運用」の実例として反対意見に対置して、それに言及しないで共謀罪に反対するなど信じがたいと断じているが、これも質の悪い論点ずらしでしかない。
今の共謀罪創設をめぐっては、現に提案されている政府案が、氏の強調する「国際的な凶悪犯罪集団」に対して有効かどうか議論されている。この間の衆議院法務委員会の議論を見る限り、少なくとも政府案では有効であるとは考えられないという人が少なくないからこそ反対意見が根強く出ているのではないか? 現に提案されている法案では問題がありすぎるから反対という意見もすくなくないだろうし、さらに言えば、共謀罪導入で期待される効果より社会に対するデメリット(国民の相互不信・相互監視を招き、社会のさらなる不安定化をもたらすなど)が大きいのではないかという反対意見もあるのに、それを十把ひとからげに反対することは無責任と断じるのは、あまりに恣意的ではないか。
そして余計なことに、消費税導入時の議論まで持ち出してきている。この言い分がさらに恣意的に聞こえるのは、「超少数意見」といいつつ、税率1.2%という自らの意見を持ち出して、断固反対より「1.2%」で闘ったほうがまだましだったかもと言っていることだ。消費税導入にメリットなしと考えている(考えていた)者にとっては、「1.2%」だろうが3%だろうが消費税を導入することに変わりはなく、その導入によるデメリットを考えるがゆえに反対していたという可能性を、氏は認めないのだろうか。このくだりは、反対意見を出す立場をただ貶めるだけに用いられた質の悪い言い分でしかないと思う。なにより批判の根拠がない。
結局、この主張から読み取れるのは、氏が共謀罪にしろかつての消費税にしろ、導入を前提とした立場に立って意見していることだろう。
問題は、どのような反対意見でも対案である可能性があるのに、その中身をしっかり吟味せずに議論の対象としない姿勢であろう。反対することが悪いのではなく、反対意見を相手にしようとしない姿勢が悪いのである。なのに、一見反対しづらい犯罪被害者・遺族のことまで持ち出して、共謀罪に対する反対意見を封じようとするようなこの主張を、今のタイミングで出してくることは、それこそ「反動的」かつ「偽善的」としか思えない。その政治的な立場のいやらしさが目に付いて仕方がない。
共謀罪の導入が必要という主張そのものをやめろというつもりはない。導入が必要と考えているなら、氏は「犯罪組織による越境犯罪」という一文を入れろという私見を、それこそ氏の持ち味である丁寧さでもって説明すればよかったはずである。それは、私のような導入に反対意見を持つものとは立場が違うだけであり、だからこそ議論が必要になってくる。そういうプロセスを経ていけば、極論がスルーすることはないのではないか。むしろ「またしても国際的な凶悪犯罪集団が放置されようとしている」などと不安をことさらあおるような言い方をすると、かえって極論がスルーしてしまう危険が高くなるというのは、かつてのナチスドイツの成立の例を見てもわかるはずだ。不要かつ無意味な「何でも反対」への批判をしてしまうから、おかしな言い分になるし、かえって危険な言説になってしまうのではないかと危惧する。
(蛇足だが、国際的な凶悪犯罪集団などいないとかそれらによる犯罪が起こっていないという認識は一切持っていないので念のため。不安をあおる言い方のほうが、今の社会情勢かではかえって「対極案」がスルーする危険が高まるのではないかと考えているのである。)
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