[核心]混迷ウクライナ 親ロで富んだ東 欧州志向の西 from 東京新聞 2004.12.1
ウクライナ民主主義の戦いのウソ from 田中宇の国際ニュース解説 2004.11.30
野党側が選挙の不正を訴えて混乱しているウクライナ大統領選。ニュースを見るかぎり、野党側の支持者が大規模な抗議行動を起こし、不正をしたとされる政府側が追い込まれているという構図になっていて、それだけ見ていると不正に対抗するウクライナ国民による健全な民主主義の発露と受け止められなくもないが、やはりというかなんというか、どうもそんな単純な構図ではないらしい。
すでに多くの人が触れられているし、上記リンクの記事にもあるが、野党候補側にジョージ・ソロス氏の支援やアメリカ政府がらみのテコ入れがあるらしい。さらに欧米勢とロシアとの石油パイプラインの利権争いというような話まで出てくると、国際政治における国家間の代理競争のようにも見えてくる。
田中宇氏の記事によると、今回のウクライナの混乱は、アメリカの勢力による4ヶ国めの政権転覆工作であるという。曰く2000年のユーゴスラビア、2003年11月のグルジア、2004年10月のベラルーシ(これは失敗らしい)に続くものだ。確かに、
わかりやすいキャッチフレーズやシンボルを使って多くの大衆を動員し、一方でメディアを使った宣伝戦も事前から仕込むという手法が似ている。
メディアを通じてみれば民主主義的に見えるこれらの動きも、その内実は相当にさまざまな思惑が入り乱れているということなのだろう。「民主主義」の実態がこれでは、民主主義は幻想とも言いたくなる気分もわかる。
ここから先は少々ぶっ飛んだ異見になりかねないのを承知で書くのだが、たとえば、このウクライナのような「民主主義」運動だって、多数を動員しようとするには、動員される人々それぞれにそれなりの政治や社会や経済などについての知識と理解が備わっていなければおそらく動員しようがないだろうと思う。言い方を変えれば、「民主主義」的に多数を動員しようと思えば、多くの人々が社会を認識するための知識を持っていることが暗黙の前提になるのではないか、(動員する側から見て)それが足りないという判断になるならば、曲がりなりにも「民主主義」的な啓蒙活動が必要になるのではないかと思うのだ。
要するに何が言いたいかというと、たとえ動員される為に必要な「民主主義」の知識や思想だったとしても、それを身につけた人々が、それを使って政治や社会や経済などにいろいろな角度(立場?スタンス?)からコミットしていくようになり、そういう動きが広がってくれば、いつかはわからない将来には、本当に自分たちやかかわる人たちに役立つ「民主主義」的な運動を作り出せるのではないか、ということだ。そしてその可能性は、ウクライナの人たちだけでなく世界的に存在するだろう。もちろんこの日本にも。
今の世界にはいろんな「民主主義」がある。その多くは、実際の使われ方を見ると「幻想」と思うしかないような代物(アメリカの唱える「民主主義」の様に)が多いが、それでも「民主主義」にはまだ有効性がある、と一方では思っている。
この記事の内容に呼応できているかどうかわかりませんが、日本における「民主主義」がおかしいからといって民主主義そのものがおかしいわけではないと思います。
アメリカという国がおかしいからといって、民主主義ダメなんだということには全然ならないと思います。
ただ、どこかの真似すればいいというわけではありませんが、漠然と「うまくいくはずだ」と唱えているだけでも心もとないので、いったいうまくいきそうな例があるのかどうか、現実を見てみたいとは思いますよね。
デンマークなんかはどうなんでしょう。あとニュージーランドとか。
ウクライナ・・・私が思い出すのは第二次世界大戦のとき、多数のナチ協力者を生み出したこと。
ゲットーや収容所の警備兵として、ウクライナ兵が重用されました。リヴォフを中心に、やはり西部地域のナショナリズムが地盤となっています。武装SSの「ガリチア」師団にも兵員を供給して、各地で虐殺を行っています。戦後はナチ追及に甘いイギリスの手引きで、イギリスやカナダに逃亡した人間も多数います。
そうした歴史への反省が、いまのウクライナの人々にあるのか、ないのか・・・
ウクライナってなかなか複雑な歴史があるようですね。ナチスとの関係ですか。旧ソ連時代も含め、しばしば謀略の舞台になったなどという話も聞いたことがあります。調べていくといろいろありそうですね。
で、民主主義の話ですが、私も民主主義そのものがダメだとは考えていないです。今回のウクライナのような事態では、たとえ外国勢の関与があったとしても、人々を動員しようと思えばそれなりの「民主主義」的価値観を動員のためのツールとして使う必要があるだろうし、そうして人々の身につけられた「民主主義」的価値観は、その人々にとって自らの要求の実現を目指すためのツールともなるわけですから、その点に「民主主義」の有効性があるのではないかと思うのです。
その点で、単純ではないですが、民主主義を考える点で面白い動きを見せている国が南米の方にいくつかあって注目しています。たとえば、大統領罷免を国民投票で否決したベネズエラ。反大統領派にアメリカが関与していたと言われてますが、それを国民投票での否決という形で押し返すまでのプロセスが面白いです。「阿修羅」という掲示板サイトにけっこう情報がありますので見てみてはいかがでしょう(同サイトの「ベネズエラ」での検索結果URL=http://www.google.com/search?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=site%3Aasyura2.com&q=%83x%83l%83Y%83G%83%89&btnG=%91S%81%9A%88%A2%8FC%97%85%81%F4%8C%9F%8D%F51)。
ブラジルでもアメリカから距離を置く左派の大統領が選出されていますし、「アメリカの裏庭」と言われた南米諸国がアメリカから距離をとろうとしていて、それが各国の国民の間でそれなりに支持を受けているようですし。いま、民主主義の在り方を考えるなら、南米諸国の動きはとても参考になります。なかなかメディアには出てこないのがつらいところですが。
ベネズエラの政変劇については、ちょうど1年前NHK・BSのドキュメンタリー番組を見たことがあります。民衆の動きと連携したチャベス大統領の反撃を、臨場感豊かに見せてくれた優れた番組でした。↓のサイトで内容を知ることができます。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/venezuela_coup.htm
↓はチャベスの演説集の紹介です。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/hugo_chavez.htm
ベネズエラの精神的支柱としてのシモン・ボリーバル、キューバ革命の源泉にあるホセ・マルティに注目すべきかもしれません。