帰宅してすぐ見たTVニュースで、長崎市の伊藤市長が銃撃されたと聞いて心底驚いた。そして思ったのは、かつて被爆した都市の市長を襲う意味を、襲った人間は理解しているのだろうかということだった。わかっていてやったのなら、それは本人の意識の程度に関わらず、社会、それも日本のみならず国際社会に対する重大な挑戦であると受け止めざるを得ないし、わかっていないでやったのなら、その意味は相当に軽くなってしまったのかという象徴的な出来事となってしまう。メディアを見るしかない立場の人間としては、報道された内容の範囲でしか考えられないが、いずれにしても、被爆都市の市長という重みが省みられなかったという点で、ただ悲しい。いまは伊藤氏の回復を祈るのみだ。
そして、主義主張の違いはあれど、政治家であればまず「どのような理由があれ、このような蛮行は絶対に許されない」というようなことぐらい言えるはずだが、安倍首相は「厳正な捜査をのぞむ」ぐらいのことしか言わなかった(安倍首相「厳正な捜査、真相の究明望む」・長崎市長銃撃事件 from 日本経済新聞 2007. 4.17)。たとえポーズであっても、このような非常な事態を前にして、首相には毅然とした姿勢が求められるはずなのに、この時に様子見としか思えない言葉しか言えなかったこの人の「地金」を見た思いだ。
こんな人間が「創りたい」という「美しい日本」とは、いったい何だ。
【追記(2007.4.18 16:25)】
伊藤一長長崎市長は4月18日未明になくなられた。謹んで冥福をお祈りする。そしてこのような暴力・「テロ」は許さないことをここに表明する。
【再追記(2007.4.19 16:10)】
昨日の追記の文中で「テロ」という言葉を使いましたが、この言葉は使う側が一方的に意味を決め付ける類の言葉と常々考えており、安易に使うべきでないと考え削除することにしました。この事件の容疑者が、なぜこのような行動を起こすに至ったかを徹底的に明らかにする必要があると同時に、社会全体として向き合っていかなければいけない問題でもあるのに、「テロ」という言葉を使うことによって、それが阻害されることを恐れるからです。もちろん、このような暴力は許さないことについては、いささかも変わりはありません。
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