「テロを防ごう」という意見と「共謀罪」:国民同士の相互監視体制=「隣組」の再来を狙っているのか?

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 イラクやパレスチナ、最近ではチェチェンの事件もあって、以前から頭の片隅にあった「テロの防ぎ方」についてつらつらと考えをめぐらせてみたが、どうもこれだという防ぎ方が思いつかない。国民が相互監視体制をつくり、その中で怪しい人間をピックアップして捕まえてみたとしても完全に防げるとは思わない。完全に防ごうと思えば、ちょっとでも怪しい人間は片端から捕まえることしかない、いやそれにしても政府や警察当局が国民を常時監視するシステムを作り、全部の行動を把握したうえで、監視の基準に引っかかった人間を全て捕まえなければどだい無理である。「推定有罪」を前提に監視しなければならなくなるだろう。ここでは「テロ」に絞った考察をしているが、たとえば「公共の利益を損なう行動」をチェックするとしても同様である。

 「テロ」を本気で防ぐつもりなら、「テロ」を呼び起こする「理由」を洗い出して除去するのが一番効果的だ。「テロ」を実行する者たちは、いかなるプロセスを経て「テロ」の実行に走るのか。その原因を探りだし除去することで、「テロ」を行う根拠を失わせること。これしかないと思う。
 以前のエントリーで私は、国民ひとりひとりがテロに対峙・対抗することなど不可能且つ無意味と書いたことがある。「テロ」は「防ぐ」より「起こさせない」ことが重要と考えてのことだが、8月23日付東京新聞の特報面(「『超監視社会』の前夜? 標的は…労組と市民団体」)の記事を読んで「共謀罪」が検討されていることを知り、どうもこの国のトップ共は不可能なことを(本気かどうかは知らないが)推進するために、国民を相互に監視させようとしていると感じた。まるで戦前の国家総動員体制を国民ひとりひとりまで徹底するために作られた「隣組」をもう一度作ろうとしているように思えて仕方がない。

 イラクに自衛隊を派兵して以降、「テロに対抗しよう」的主張をよく見聞きするようになった。日本が「テロ」対象国になりつつあるという認識はあるようで、その延長線上で「テロ」をどう防ぐかということに関心が集まっていることの反映と見えるが、この中では「こうなった以上は国民が協力してテロに対抗するしかない」という意見が一定の支持を集めているようで、この手の意見を支持・好意的に紹介しているサイトはこれまでけっこう多く見ている。
 実はこの「国民が協力してテロに対抗を」という主張は、一見異議・疑問を差し挟みづらい厄介な意見である。言っていることはもっともであるが、では具体的にどうするかということになると、「日常から注意する」とか「怪しい人間やモノに気をつける」という話が中心となる。一見大したことのないレベルの話のようにみえるが、要するに国民それぞれが相互に注意監視するという、実に恐い話をやっているのである。まるで戦時中の「隣組」のように思えてくる。
 (蛇足ながら。もちろん私は戦後も戦後、高度成長末期あたりの生まれであり、戦時中のことなど体験していない。ただ、戦時中のことを記録した文書や映像を見ることによって、当時何があったかをそれなりに知ることはできる。その知識と、父母や祖父母、戦時中に大人だった人たちの話を聞いた上で、「隣組」がどういう制度であったかを大まかに知ることが出来た。それゆえ「テロ」に対抗するためと称して国民の相互監視の必要性を説く意見に対し、一種の違和感を覚え、まるで「隣組」のようだ、と評することができる、と思っている。なお、「隣組」のことについては、水島朝穂・早稲田大学法学部教授のウェブサイト「平和憲法のメッセージ」内の「防空法制研究」の中で詳しく取り上げられているので、是非参照されたい。)

 実際、いつどこで起こるかわからない「テロ」を防ぐには日常の警備警戒が欠かせない。その警備警戒体制に、日常から国民を組み込んで組織化できれば、相当の効果が期待できるだろう。日常普段から相互に監視の眼を光らせ、不審な行動があれば素早くチェックして即時に対応する体制が作れるのだ。これを持ってしても「テロ」を未然に防ぐことが可能かどうかはわからないが、日常から国民ひとりひとりのレベルで不審な人間・行為を監視するこの体制は、政府や警察当局などにとっては「テロ防止」機能を補完する体制であることは間違いない。
 つまり、「共謀罪」導入の狙いの中には、一見反対しづらい「テロへの対抗」という主張をテコに、国民を相互に監視させるように仕向ける仕組みづくりをしようとしているのではないか、という疑いをもってしまうのだ。もしそうだとすると、それはもはや「テロ」対策ではなく「国民統制」の施策でしかない。「治安」「安全」の名の下に、国民ひとりひとりの行動が、政府・当局の監視・統制下に置かれる。そんな恐ろしいことは考えたくないが、「共謀罪」という、集まって話をしているだけでその人間や行為を取り締まれるという制度が検討されているのは、相当に危険なことと思うのだ。

 この「共謀罪」のことを取り上げた東京新聞の炯眼を高く評価するが、一方で目につくメディアではこの話はほとんど出てこないことに危機感を覚える。その一方で、テロの頻発で安全が脅かされているとか外国人による犯罪がことさら増え凶暴化しているように印象づけるような報道が多いのには、「共謀罪」制定の地ならしをしているのか、と勘繰ってしまう。
 つくづくイヤな時代になったものだと思う。

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