先のエントリーについて、いろいろとコメント&TBをいただきました。ありがとうございます。
そのつながりで、米軍ヘリ墜落事件関連のたくさんのエントリーを見ているうちに、既に触れている方もいる1977年の横浜米軍機墜落事件をはじめ、いろいろ思い出してきたことがある。それらはおおむね知識として知っていたが、断片的な知識であったがために、それぞれがどういう意味や問題を持っているか、関連づけられて考えられなかったことである。「知っているだけじゃ力にならない」ことを思い知らされた気分である。
横浜の事件(事故)の時は、父と母が被害者の支援活動に参加していたこともあって、かなりいろいろなことを覚えていた。亡くなった二人の子供はまだ小さかったこと、闘病していた母親は子供たちが亡くなったことを最後まで知らなかったことなど。当事者やまわりで支援していた人たちがどんな気分でいたか想像が追いつかなかったが、いろんな人が入れ代わり立ち代わり活動していたのもかなりはっきり覚えている。私がまだ小学生の頃の話だ。
これ以外にも、米軍・自衛隊がらみの事故・事件や、それに影響を受けている事柄のいくつかが思い出された。東京湾での自衛隊潜水艦なだしおの事故や、那覇空港や羽田空港に着陸する旅客機がどうして窮屈な条件で着陸しなければいけないのか、ということ、神戸港が核兵器非搭載を証明しない船舶の入港を拒否していること、なぜ厚木で夜間飛行訓練が行われているのか、近年では日本の高校の訓練船が米軍の潜水艦に衝突され沈没した事件、などなど。そういえば、歴史でしか知らないが岩手・雫石の旅客機墜落事故も自衛隊か米軍機と衝突だった。
これらのことからわかるのは、日本中が普段から米軍や自衛隊が設定した領域(訓練領域)などに囲まれていること。沖縄はそのことが特別はっきりと表れている地域だが、その他の地域だって実は同様の状態になっているところなどいくらでもあるということだ。那覇空港に着陸する旅客機が、なぜに長い距離を低空飛行しなければならないのか。羽田に着陸する時、どうして滑走路に対し斜めから低空で入ってこなければならないのか。空港のまわりにある米軍の訓練飛行空域に制約されて飛行コースが限定されている、と教えてもらったのは横浜の事故の時だった。沖合に移転拡張する前の羽田では、ジャンボジェットが斜めに機体を傾けながら着陸するのを見た覚えがある。
どれもこれも、米軍の行動や設定された条件に制約されての結果である、ということが、いろんなエントリーを読んだりさまざまな記憶が思い出される中でやっと見えてきた。なにかコトが起きないと関連づけて考えられないところが弱点でもあるが、関連づけて考えられるようになると見えてくることがある、ということも再確認させてもらった。
以前のエントリーで紹介させてもらったP-navi infoさんの「コンテクストがすべて??マスメディアの報道姿勢をめぐって」にもつながっていることだが、「何がどのように起こったのか」ということを考えつづけていく大切さが、いまとても求められているのだと改めて思った。普段のメディアの報道にその観点が欠落しているだけに、情報の受け取り手が意識しなければならないことは、とても多い。
はじめまして。米軍ヘリ墜落事故についてのアーティクル、興味深く読ませていただきました。
雫石事故ですが、自衛隊機とのニアミスが原因で、旅客機が墜落、自衛隊機の乗員は無事でした。犠牲者102名という数字とともに、鮮明に記憶に残っています。
…と、書いといて、一応調べておこうかと思って見てみると、事故の原因は、接触による損壊、犠牲者数は162名となっていますね。あー恥ずかしい。
tiseさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
雫石の事故は、教科書で習ったぐらいでほとんどうろ覚えだったんです。でも今はネットにある程度の情報がありますから、調べればちゃんと出ているんですよね。ちょっと手間をかければ調べられたし、記事に反映できたと反省しているところです。ちょっとの手間を惜しんではいけませんね。私もその点を気をつけたいと思います。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。