だいぢろ氏なる人物から「反国家」という「お誉め」をいただいたので、せっかくだから「お礼」しとかなきゃ。
特定の宗教を国家の宗教と決められれば、他の宗教宗派が弾圧される。それは、ほかでもない靖国神社自身の歴史が示している。だから「政教分離原則」があるのに、総理大臣が靖国神社という特定の一宗教法人(「主観」も何も、靖国は明確に「宗教的活動の主体」です)に繰り返し参拝するのは、それを助長する可能性がある、と見るのは当然であろう。これほど明快な論理もないと思うが。
また、靖国に合祀されている戦没者の中には、神道以外の宗教者も含まれている。戦没者当人が信じているのとは違う宗教に「軍神」として合祀するのは、これこそ死者への冒涜にほかならない。
さらに言えば、先の大戦を「国民戦争」と言い張るのなら、靖国にさえ合祀されない戦没者の存在をどう見るのか。靖国に合祀されているのは日中戦争・太平洋戦争の戦没者230万人余である。一方、先の大戦で戦没したとされる日本人の数は約310万人である。その差の約80万人はどうしたの? 先の大戦を「国民戦争」であると言う人なら、日本人の全戦没者が靖国に合祀されないのは許されないはずでは?
まもなく敗戦から60年にもなろうというのに、死者への冒涜を続け、自国の戦没者の扱いさえ不公平なまま放っておいて平然としている靖国神社をありがたがる神経が理解できん。「国を思い死んでいった方々を弔うのは現代を生きる我々として当たり前のことだ」とどの面下げて言ってんだか。
あと「歴史認識の宣言」なるものによれば、たとえば先の戦争についてはこう言いたいんだね。
「私の家族が、あなたの家に行って殺人強盗を行い返り討ちにあって死にましたが、それは私の家のためであるので、私の家では神としてまつってあります。あなたは、このことについて意義があるようですが、それは見解の違いであり仕方ありません。あなたが何を言おうとこれが私の家の立場です。」
さてもさてもご立派な見識ですこと。
おそらく反国家仲間のまぎです。
私には書けない見事な記事で感心しきりなのですが、だいぢろ氏の思考については、若干誤解されているのではと思います。
私の読み取り方は以下のとおりです。
1.>戦勝国の不当な裁判による冤罪
の表現に見られるように、そもそも政教分離が必要であったと考えていない。
2.>国を思い死んでいった方々
とは、単に戦争で死亡した人という意味ではなく、国益(?)を考えて戦争を行った人を指している。
3.>その際、「侵略戦争」とは言わないけどね
とあり、「殺人強盗」のような行為であったと考えていない。
ということで、氏が侵略戦争でないという根拠について議論しなければいけないようです。
人様のところにお邪魔して、何やってんだろ、私・・・A(^_^;)
まぎさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
>だいぢろ氏の思考については、若干誤解
ご指摘の件ですが、たぶんそうなんだろうなあと漠然とは感じておりました。だから、噛み合わないだろうなと思いつつ、あえてあのように書いてみました。たとえば「政教分離は無理」という話には、政教分離しなかった靖国はああだったけど?という風に聞いてみる形で。考える考えないは氏次第ですが。
「戦争の死者」の話もそうしたつもりです。ただ、まぎさんの指摘通りなら「死者まで選別して差別するんかい!」という新たな怒りが・・・
どんなに慎重を期しても、誤解・誤読というのはあるので(特に文章だけのやりとりでは)、違った視点からの指摘があるとすごく助かります。自分の意見が間違っていたなら修正することもできますし。
なので、
>人様のところにお邪魔して、何やってんだろ、私・・・A(^_^;)
いえいえ。どんどんお邪魔してください。すごく助かります。改めてありがとうございました。